第27巻 番外編その2
今回も、山本幸三代議士の実兄(愛称:こまわり君)から投稿をいただきましたので、掲載させていただきます。
前回は、子ども時代の事を書きましたので、今回は、大学時代のエピソードに触れてみたいと思います。
すでにご承知かと思いますが、我々は7人兄弟で私までは満州からの引き上げ難民(この言葉も第二次世界大戦の置き土産で、だんだんと忘れ去られようとしています)で、大変貧しい暮らしをしておりました。
従って、兄弟は助け合ってそれぞれ下の弟や妹の面倒を見なければなりません。
幸三代議士の面倒を見なければならなくなったとき、我々兄弟としては、全く不可能とも思えました。東大理(I)を一発で合格したら、学費の面倒を見る約束をしました。(その後、無事合格し、我々兄弟は約束通り学費の面倒を見る事になりました・・・)
大学2年の時、世に言う”東大紛争”が勃発し、これに巻き込まれたら大変だということで、この時期アメリカへ留学させました。
帰国後、大学入試をもう一度やり直したいと申し出たのでビックリしました。アメリカ留学中に多くの人との出会いを通じ、自分は理科系よりも文科系に向いていると申し出たのです。
そんな事をされたら更にもう2年、学費負担がかさむので、その要求は断固拒否しました。
しかし東大には、専門課程に入る時、理科から文系、文系から理科への編入試験があり、これに合格したら”よし”とし、理科から経済学部に編入した訳であります。
・・・・ここで余談になりますが、山本幸三の命名秘話を紹介したいと思います。
私たちの父親は、満州鉄道(満鉄)勤務中に終戦を迎え、引き上げ後は鉄道弘済会に勤務していました。三男ということと、鉄道弘済会の「弘」をとって『弘三』と命名したようですが、当時、当用漢字に『弘』という漢字が・・・・・・・・。
今回も突如電話が鳴り、執筆途中で事務所を飛び出していったのである。(つづく・・・のか?)
〜リンク集〜 こちらも是非ご覧ください↓↓ (*⌒∇⌒*)
山本幸三のホームページ http://www.yamamotokozo.com/
◆大学生が山本幸三に迫る『幸ちゃん教えて!』他、日々の活動日記♪
山本幸三のブログ http://d.hatena.ne.jp/yamamotokozo/
◆山本幸三事務所学生有志による壮大なプロジェクト!